2014年度 理事長所信
見つめなおそう日本のこころ
~持続可能な社会を目指して~
2014年度一般社団法人加古川青年会議所
第56代理事長 福島 宏一
一般社団法人加古川青年会議所は、本年、諸先輩方が培ってこられた55年間の想いと伝統を受け継ぎ、ご理解とご協力を頂いているたくさんの方々への感謝を胸に、次の時代に向け新たなる一歩を踏み出します。
近年、私達の社会は、経済問題、外交問題、エネルギー問題など様々な問題を抱えていますが、特に気にかかるのが、子供達の将来、地域や国の情勢、世の中の変化など、私達の今と将来に関わることです。戦後、GHQの政策などの要因によって、70年足らずの間で日本人としての誇りを創り上げるために必要な人生観や歴史観などがあやふやにされてしまいました。そのため、今では筋の通った教育や世論構築ができず、権利の乱用によって教育や世論が振り回されているように思います。
私達が暮らすこの地域の活性は、私達の生活向上にとって必要不可欠な要素であります。ただ、どれだけ地域の利便性が上がろうとも、地域が自立していなければ、いつまでも必要以上に外部に依存してしまい、正当な利益を得てそれを自分たちの生活向上に還元することは難しいと思われます。明治維新以降、近代合理主義の下、大規模・集約型・大量消費廃棄型社会により私達は発展して来ました。その成果により私達の生活は格段に向上し、モノが溢れる時代に生きることができています。しかし、私は成長を続けてこられた時代に感じることはなかった閉塞感を感じ、将来に不安を抱えています。全てを大規模・集約型・大量消費廃棄型社会にしていくことは、これからも私達や次代の世代に利益をもたらしてくれるのでしょうか。例えば、エネルギーや資源などは、様々な小規模の施設を活かすことで、環境的にも経済的にも良い効果をもたらしてくれる可能性があるのではないでしょうか。まだまだ先は混沌とし出口はみえませんが、私達が今まで築き上げた知識や科学技術の向上により可能になる社会システム、新たに発展した小規模・分散型・循環型社会を生み出し、持続可能な社会にシフトしていく必要があるのではないでしょうか。
持続可能な社会とは、次代の世代が現代の世代と、物質的、経済的、精神的、文化的に同レベルもしくはそれ以上に、活き活きと生きることができる社会です。持続可能な社会にシフトするために重要な要素は、自分たちの地域や国に愛着を持つことにあると我々は考えます。地域に愛着を持つきっかけをつくるにはどのようなものがあるのでしょうか。私は、地域の歴史や逸話、神話や伝説などの物語を再び紐解くことが、そのきっかけの一つになると考えています。例えば、日本は神話の時代から続いている現存する世界最古の国であります。
そして加古川は、ヤマトタケルノミコトの生誕の地という伝説があり、鶴林寺、教信寺などの文化財にも逸話や伝説がたくさんあります。稲美町には、兵庫県下で最も古くそして菅原道真が手を清めたとされる天満大池があり、播磨町には、弥生時代後期のものとされる大中遺跡があります。地域に愛着を持つことで、地産のモノを購入したり、地域の祭りやイベントに参加したりして、様々な交流が深まり、少しでも地域の人や資源を応援しようという意識が高まると考えます。最初は小さな動きかもしれませんが、効率よりも、自然、ひととのつながりを重視していくことで、その小さな動きが次第に新たな社会システムを生み出し、この地域を持続可能な社会に導いてくれるのではないでしょうか。
では、その新たな社会システムを生むために必要なのは何か。私はそれを日本のこころであると考えています。例えば、江戸時代の循環型社会は、和の精神、自然への畏敬の念、もったいないの精神などに代表される日本のこころによって生み出された当時としては世界でも優秀な社会システムではないでしょうか。ただ、江戸時代の社会システムでは、現在の生活レベルは維持出来ません。ですから、日本のこころを持って現代の知識や技術などを応用していくことで、我々の目指す持続可能な社会への入り口が見えてくるのではないでしょうか。
そのためにはまず、我々自身が率先し、日本のこころを磨き、魅力あるひととなることで、持続可能な社会へと導くための社会システムを生む基盤となれる地域のリーダーにならなくてはなりません。日本のこころの中で我々自身が磨かねばならないのは、地域の方々と共にまちづくりを行う上で重要な、和の精神と、今の自分が存在し活動できるのはご先祖様や家族のおかげであるという感謝の念であります。そして、多様なつながりを重視する経営力を高めることで地域の人や資源を活性化させ、周りから頼りにされる人間力を高めることで多くの人々をまちづくりに巻き込んでいく必要があります。
ただ、そのような持続可能な社会を構築するには、ひとつの地域だけでは完結せず、より広域的な視点からでないと解決できない問題が生じる可能性があります。その時、我々が行政や市民の橋渡し役として問題解決に向け率先し行動していかなければならないと考えます。そのためには、近隣LOMと普段から互いのまちづくりについて情報交換し合い、メンバー同志も交流を持ち、多様性を認め合うことで互いに協力し合える体制づくりに努めなければなりません。
持続可能な社会に向け社会システムを継続的に発展させていくためにも、先代から受け継いだ日本のこころを次代に紡いでいくことは私達の責務です。ただ、昨今の社会の風潮もあり教師が生徒から畏れられる存在では無くなってしまい、未成年の非行においては、集団化、粗暴化、広域化、低年齢化が進んでいると言われています。私達の責務を果たすためにも、地域の子供達みんなが健やかに育つことができる環境、例え過ちを犯してしまった子供達も社会復帰できる環境を地域の大人達が作っていかなくてはならないと考えます。親の世代の我々は、まず学校の現状をよく知り、地域の未来をつくる子供達は地域で育てることが何よりも大切であるという意識を持ち、子供達に日本のこころをより良く伝える事ができる教育を地域全体で真剣に考える必要があると考えます。
いじめ問題や様々な犯罪の低年齢化、親への暴力、育児放棄や虐待など、子供達が被害者にも加害者にもなる事件は、幾つもの要因が重なり合い起こった悲しい出来事だと思われますが、その要因の一つとして未熟な道徳性が挙げられるのではないでしょうか。道徳性とは、良し悪しを判断する力でありますが、どのように身につくものなのでしょうか。もちろん叱られたり褒められたりしながら身についていくのですが、それだけでなく幼い頃から、たくさんの良質な物語を祖父母や両親、周りの大人たちから聞かされ、最初は客観的でユニークな観点から物語をみていても、次第に想像力を働かせ主人公や登場人物に感情移入し、喜びや幸せを感じ、他人の痛みや悲しみを知り、時には世の中の不条理さと無限の可能性といった様々な矛盾に悩み、幾多の仮想体験をしながらその物語に隠されたメッセージを受け入れ、そこにある道徳性を身につけて行くのではないでしょうか。
では、どのような道徳性を子供達に一番に身につけて貰いたいのか。私はそれを自然への畏敬の念であると考えています。日本人は自然を管理・支配するといった考えではなく、八百万の神に代表されるように自然に存在するものを神として畏れ敬い、自然と調和して生活してきました。自然への畏敬の念が現れている身近な例として食前の挨拶 「いただきます」があります。その意味を子供達が受け入れてくれれば、自分が自然の恵みに生かされている存在であると知り、生きていることに有り難さを感じ、自然だけでなくその食材が食卓に並ぶまでに関わった人達にも感謝できるような子に育ってくれるのではないでしょうか。
我々の目指す「明るい豊かな社会」の実現に一歩でも近づけるためには、まず一人でもこのまちから我々の運動・活動を理解していただける同志を募り共に育ち、そして地域のリーダーとしてまちへ還元していかなくてはなりません。活動を共にし、互いに切磋琢磨したメンバーとの間には、JCならではの強い友情が芽生えます。それは、我々一人ひとりにとっての大きな財産となり後の人生まで影響を及ぼしてくれることでしょう。
このような我々の運動・活動を更に拡げていくためにも、我々と市民の方々、LOMとメンバー、同志同士、それぞれ多くのつながりをもつことは大変重要です。
そのためには、まず加古川青年会議所の本質を理解した上で、LOMを見つめなおし、それぞれの場において考え議論を尽くし、絆をより強固にすることで我々の足元をしっかり固めることが何よりも大切です。
その上で、我々一人ひとりが、我々の運動・活動を十分に理解し、一致団結することで、強い発信力と幅広く報じる力が備わるでしょう。また、多くの同志と出会い友情を育くむ機会を積極的に創ることで、我々一人ひとりの視野が拡がり、我々の活力となっていくでしょう。
物語はたくさんのメッセージを伝えてくれます。歴史や神話、説話に小説、演劇や舞台、映画やドラマにドキュメンタリー、漫画やアニメにゲーム、普段の会話から講演会などの経験談、幼い頃に祖父母や両親が語ってくれた童話や昔話まで実にたくさんの物語があります。我々の運動・活動の根源である事業も物語と同じではないでしょうか。一人でも多くの人に興味をもって愉しんでもらえるストーリーをつくり、物語をみていだくことで、我々のメッセージを一人でも多くの人々に伝えていきましょう。私達の大好きなこのまちが、私達のまちの事は私達で解決し自発的に改善され続け、日本国内そして世界中とつながりを保ちながら、地域の中で人や資源が活発に循環している、そんな神話の時代から続いてきたこのまちのこれからの物語を共に紡いでいきましょう。